悩みの言語化って大事ってハナシ

インストラクターたるもの、いつでも何かにワクワクしてて、誰かにポジティブなパワーを与えられたらいいんですけど、そうもいかないですよね。だって人間だもの。


人と比べるなってヨガ哲学にはありますが、輝いてる人、明るく前向きな人を羨ましく思うなってのもなかなか難しくって。

羨ましく思っても自分と比べて凹まなければいいんですけど、まだ私はそこを割り切るには人間力が足りず、、、。むむむ、、、。



なんせ、私めちゃめちゃ色々心配したり不安になったりするから!



大抵は身体のことか家族の事なんですけど。

私は30手前の社会人時代から病気不安症(心気症)になっちゃったので、一回怖くなるとなかなか払拭できないんですよー。わかっちゃいるけど治らない~。


だからといって別にずっと大変なわけではないんです。要所要所でちょこちょこ顔を出しては一通り恐怖心を掻き乱して散々散らかしてある程度したら去っていくんです。

散らかしたなら後片付けしてってよー!と言っても自分でなんとかするしかないっていう。


まあそんなこんなで、私は濃密に不安と共に生きていく人生を悟ったわけなんですが、最近「家族の健康問題」が浮上してきました。



そう、年老いていく親の健康問題。



自分の事も怖いけど、家族の事も本当にしんどいですね。近い分難しいこともたくさん!



ある程度の年齢になれば、みんな必ず家族を見送っていたり、誰かが亡くなったとか病気になったとかあるはずなのに、そういう話あんまり親しい人としなくないですか?します?


暗くなるし、とか、気を使わせちゃうし、とか、どうせわかってもらえないし、とか。


みんな経験してるのに、いっぱい良い経験談が世の中にはあるはずなのに、個人の中でそっと秘めていて、共有されない、もしくはネットの中には逆に無限に不明確な情報が溢れかえっていて、現状困っている人が1番欲しているものを選んだりできる状態ではなくって。


ゴミの埋立地のように、そこから欲しいものを探し出すのは至難の技ですよね。



初めて経験する人は結局自分でなんとかしなきゃいけない。

ここ何十年、いや遡っちゃえば人類がそこそこの生活し出した時からでも、山ほど先人が身を挺して生み出してきたナマの為になる経験談があるはずなのに誰にも知られず使われず。そんなもったいないスパイラルが続いてると思ってて。



例えば「家族が癌になった」

というケースだったら、これからどうしていくのがいいか、まずどういう事を優先的に決めたり考えた方がいいか、初期に病院にはコレを確認しておくといい、とか、これが役に立った、とか。


もちろん便利な世の中でインターネットにはごまんとあるのはわかってるんですよ。



でも、価値観や生活状態なんて本当に人それぞれで、病気の宣告を受けた後っていう特殊なシチュエーションひとつとっても、そのあと求めるものが本当にみんなちがって、尚且つ絶対的な正解がないことがほとんどだからインターネットから自分のこれが知りたかった!っていうものを探すのって難しいですよね。


ましてや病気や健康のことは、不安を煽って商売や弱みにつけ込むことが多い世界だから情報の精査はしっかりしなきゃいけないし。


でも、生きるか死ぬかの矢面に立ってる人やその家族がそんなぐちゃぐちゃの情報の山を精査するメンタルがあるかって言ったら、そりゃあまた難しい話で。(実際大変だった話も聞きます)


だから、本当に必要な情報を手に入れるのって凄く大変。

探す途中で怖い表現もたくさん出てくるし、当人じゃなくても気持ちの負担がとても大きい。



ここでようやく本題に笑


何が言いたいかというと、そういう全部ひっくるめて、技術的な話や医療的な事はもちろんプロの人にお任せするしかできないけど、



「今こういう経験してて、本当にしんどいよー。この状況がとにかく辛いんだよ、もういやなんだよーーーーー」

みたいな、取り繕ってない本音を言葉に出せたら少しは気持ちがラクになるのかなって。



こういうある種?子供じみた「もういやだ!」っていう気持ちって、絶対みんなあるはずなのに大人だからあまり口に出さなくないですか?真面目な人やちゃんとしてる人は尚更。


人に話す時って無意識にだけど結構表現を大人モードにして話すじゃないですか。それって結構自分の奥の思ってることに蓋してるのかなぁなんて最近気づいたんですよ。

私だけだったらどうしよう笑



例えば、さっきの例で言うなら


「親に癌が見つかったの。すごく不安」


と、知り合いに話したとしましょう。不安だって言う気持ちをしっかり打ち明けていて凄い。これを話すだけで気持ちが少し軽くなるはず。


ただ、これも本当に嘘偽り無い本音だけど、もしかしたら本当の本当の本音は



「親が癌で死んじゃうかもしれない!いやだ、誰か助けて欲しい!どうしよう!」



だったりするかもしれないなぁって。私だけかな??



カッコつけてるとかじゃないけど、本当の本当の根底の欲望だったり不安だったりって思ってる以上に表現してないんですよ我々。たぶん。


第三者に話すんだから、そりゃねって気もするんですが、意外に自分だけの独り言や頭の中での考え事だとしても結構大人表現モードだったりするんです。言わないんですよ、これが。



私はそうでした。最近というか数ヶ月前に病気不安症が凄く振り返す時期がありまして(後日書く予定ですが、大腸にポリープがあった為)その時初めて家族以外に病気不安症の事を親しい友人に話しました。

それ以外のことは十何年の付き合いで散々話しているのに、この病気不安症の事だけは、引かれるかな?とか温度差があるしなぁなんて思いで何年も言えませんでした。


そして今回7年越しくらいで言えました。なるべく本音に近い形で。



「怖い、死んじゃうと思うと凄く怖い」



正直なところ、私の年齢的に(30代半ば)病気で死ぬかもしれない、怖いって感情を、聞く人が本当に親身になって聞けるかって言ったら大抵の人が


「いやいや考えすぎだよ、その歳なら絶対大丈夫だって笑」


みたいになるって思ってたから今まで言えなかったんですけど、でも、本当に辛くて勇気を出して打ち明けたら、



「そんなにおかしいことじゃないよ、●●さんは普通だよ。私もそういう事あるよ」



って返事が返ってきて驚きました。

凄く気が楽になりました。



話せる人には、もっと根底の不安を話してもいいんだなぁなんて思った経験でした。もちろん傷つく可能性もあるけど。

そしてそういう人がいなくても、みなさんが自分自身にだけはその本音を声に出してみて欲しいなと思います。自分に対して嘘つく必要も格好つける必要も実際はないんだから、自分の本当の気持ちを自分に向けて声に出したっていいんです。


(これはまた別の記事に書こうと思ってるんですが、我流で瞑想、我流でマインドフルネスをもっとやろう!っていう笑 乞うご期待!)



余談ですが、ヨガや瞑想や呼吸法ってそういう色々な悩みから少し距離を取れたりするものだから、ヨガレッスンではヨガをするのが最善であって悩みを聞きすぎちゃいけないって私の尊敬するヨガの先生は言っていたのですが、

どうしても辛い気持ちを話せる人が周りにいないっていう場合、お話をうんうんと聞くだけしかできないけど、そういう力にもなれたらいいのになあとよく思います。



話を聞けない分、その気持ちを込めて「頭(ココロ)をほぐすヨガ」をしているんですが、が!

まずは体動かすより話を聞いてもらったほうが心身にいい場合もあるよなって、心を整えるヨガをやってる当人が思っちゃうことはあります笑


私もきっとそうだから。



あー、また長くなっちゃった!特にオチも無いけど、

漫画に出てくるような「大阪のオバちゃん」のグループみたいに、気を使わず各々が愚痴や悩みを大きい声で話しあいっこできたらいいのになぁなんて。


みんな多かれ少なかれ悩んでしんどいのにそれを表向き見せずに頑張って生きてて本当に凄い!でも、もっと周りの人に悩んでるし辛いってみんなが表現したら、


「あ、意外にこういうことで悩んでるの私だけじゃないんだ」


って勇気もらえる人たくさんなんじゃないのかなぁー。いずれは助け合いや心に寄り添うヨガができたらいいなー。という願望で終わりにします!


では、最後まで読んで頂きありがとうございました!

SAISHOnoYOGA

「難しそう」「なんか違う」 「続かない」「面倒くさい」に 心からの共感を込めて♡

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